結婚して1年目、育児支援の方に言われたこと、8年目の児童相談所
私が結婚して、1年目、連れ子と、自分の娘が0歳。
産休をとって、近くの育児センターへよく行きました。
母乳が出ているかなど、身長体重の測定など、ごくごく普通の検診です。
しかし、そこで、悩みはありますか?と聞かれ、勝手に涙が。
知らないうちに、悩みがたまっていました。
しかし、0歳の我が子の子育てと連れ子4歳との1年目。
悩みを悩む余裕もなかったと思います。
そのときの、育児センターの人に旦那さんに、悩みが言えてる?と聞かれました。
正直、連れ子との悩みは、何も言えなかった。連れ子のこんなことが大変だ、好き嫌いが多い、片付けが出来ない、でも強く言えない。
それは、旦那にとってはほんとの子どもであり、言ったら文句を言われているととるかもしれないと思っていたからです。
正直、4歳の子どもがどこまで出来るかなんて、わかりません。
だから、どこまでがわがままなのか、分からなかった。
そんな中子育てをしていたことが、知らず知らずのうちにストレスになっていました。
旦那さんにはちゃんと話しをしたほうがいいよ。
これが、転機の言葉です。
言っていいのかと思いました。
そこから、いろいろ言うようになり、私のストレスも軽減される…と思いきや、旦那にとってはやはり、自分の娘を悪く言われた、私が出来ていないと、旦那と喧嘩が増えたのはこの頃からだと思います。
とことん話をして、私も旦那に言うことで、なんとかしてよ!と思う気持ちをかなり言ったし、言って子どもへの対応を任せることも増えて、そこからの喧嘩、母親やってないと言われたりと…。
喧嘩ばかりの日々は、もっと大変でもありました。
育児センターのかたの言葉は転機でありましたが、良かったか悪かったかは、正直わかりません。
もうひとつの転機。
私が娘と一番のバトルをしたときです。
学校へ行くときに、髪をしばりなさい、ただそこからはじまった喧嘩。
縛るという学校のルールがあり、いまどきは云われないのでしょうが、連れ子を育てるにあたって、学校のルールは守らせねば、学校から何か云われないようにしなければと、そういう事に対して敏感になります。
どうせ、連れ子だから、お母さん何もいわないんじゃない?と言われたくもないし、それよりも、学校のルールを守れのしつけのつもり。
ただ、それをことごとく反抗され、ついに、頭にきて、学校へ行かなくていい!髪の毛も切ればいい!とハサミを持ち出しました。
本当に、このときが、ピークのとき、育児ノイローゼでしょう。
押し問答をしたあと、ハサミを持ち出した自分に、放心状態。
泣きながら、旦那に仕事から帰ってきて…と。でも無理だと…。
それにも泣けました。
でも、家にはまだ連れ子と私の二人。
このままでは、きっと何かがおこる。
そう思い、児童相談所に連絡して、来て欲しいと。朝の9時位でした。
そのとき、職員がいないので、ごめんなさい、無理です。と。すぐには行けませんと。
愕然としました。
すぐにじゃなきゃ、意味がなかった。
ハサミを持ち出した自分がいて、あとで行きますでは、意味がない。
二度目の放心状態でした。
でも、そこで、これが転機となりました。
結局誰も助けてはくれない、と痛感したのです。
そこから、数分後、娘とちゃんと向き合い、私達は、本当の親子ではないから、こうやって揉めるけど、でも、私達が悩んで生きていることは恥ずかしいことではない。
一生懸命だから、こうなるんだと。
ハサミを持ち出したことも謝り、ママも人間で悩んでいる、理由があるから、注意するし、感情的にもなる、でも普通の親子みたいにはいかないけど、やっていこう、と。
子どもは、そこから学校へいき、2時間後、児童相談所の人が訪ねてきました。
もう、解決したので、大丈夫ですと帰ってもらいました。
そこからも、ささないことでいろいろ揉めてきましたが、喧嘩の最後になるべく(毎回なんて奇麗事は無理です。)向き合うようになりました。
普通の親子だったらなんて、結局は分からない。連れ子だからってわけでもない、それでもママは一生懸命だから…って。
数年経ち、大きくなり、今では旦那と私が喧嘩になったときに、連れ子が、味方になることもあります。
私はこの家でいいと言ったこともあります。
今の関係性は、よくはないし、普段は話さないし、横柄な態度にはムカつきますが、そこの根本の今まで苦労してやってきた思いは一緒かもしれません。
私にとっての転機は、自分で気づいて前にふみだすことだったみたい。
今まで、育児ノイローゼなのか、鬱なのかなと、病院にも行きましたが、カウンセリングするには金額も高い。仕事もしながら通うことすらままならない。
結局、余裕もなにもない。
そんな中子育てしてる人っていっぱいいると思うんです。
病院で話をしようとしても、泣けてしまい、うまく話せなかった。子育ての悩みなどはカウンセリングや育児センターに言ってと言われます。
病院では、眠れないなら薬、仕事を休んだ方がいいなら診断書。
根本的な解決は、自分でするしかないと、どこへいっても痛感する。
唯一、保育園の先生に本当に救われました。
再婚して、私が突然やってきた事を知っていてくれる人。
小学校へあがったとき、学校には話しませんでした。そういう目で、子どもも私も見られること。そういう対応をされるのが嫌でした。
でも保育園の先生は、分かっていて、私が育児をしたことのない、若いママだとちゃんと接してくれました。
牛乳飲ませてね、給食遅いんだよ、こんな風にやってみて!本当にたすかりました。
私の異変に気付いてくれるのも保育園の先生。
お母さん、今日これ忘れてたよ、いつもそんな事ないのに、何かあったの?と。
その一言で泣けました。
保育園の先生の前で何度も泣きました。
でも、泣ける理由が理解できていないんです。大変は大変だったんだろうけど、いろいろありすぎて、これが悩みと自分でも分からなかった。
でもそれを一番察知してくれたのが保育園の先生でした。
連れ子を育てながら、妊娠していたときも、本当にたくさん声をかけてくれました。
保育園の先生が居なかったら間違いなく諦めて離婚してたかも、です。
いろんな転機があり、今があります。
よく、乗り越えたな、どうやって乗り越えてきたんだろうと今でも思います。
でも、まだまだ喧嘩の毎日。
育児はいつまでなんだろう?
読んでくださった方、ありがとうございますm(__)m